音価と計量記譜法、タクトゥス|テンポについて その1

メトロノーム

音価やテンポ(メトロノームによる正確で絶対的な速度の指定がある楽曲を除く)、強弱表現などクラシック音楽は大部分において相対的なコンセプトで成り立っていると言えます。演奏家にある程度の創造性を与えるこの相対的なコンセプトの「曖昧さ」が実は音楽に深みと神秘性を与える要素の一つであると言えますが、楽譜をどのように解釈したら良いのか悩ましいところでもあります。

例えばアレグロや、モデラート、アンダンテ、アダージョ、ラルゴなどはテンポ・マーク(速度記号)として普段から見慣れているものですが、これらの速度記号はそれぞれ実際にどれだけ「速い」又は「遅い」のかを見定めるのはとても難しいと思います。というのも、ほとんどの音楽作品は我々が経験したことのない時代に作曲されたものなので、厳密に作曲家の意図を知ることはほぼ不可能だからです。また、速さの感覚は時代や文化的背景、楽器や演奏する場所の音響特性に大きく影響を受けます。

正直なところ、最終的にこの問題を解く術は知識をもとに想像と勘を働かせてそれぞれが個人的な解釈をする他ないと思います。このエッセイ・シリーズ「テンポについて」では歴史を振り返ることでより良い解釈を得るための手助けとなることを願いつつ、これらについて考えてみたいと思います。

音価と計量記譜法

16世紀前半に複写されたジャック・バルビローによるミサ曲 「Missa virgo parens Christi」の装飾写本
16世紀前半に計量記譜法で書かれた手書き譜※

ヨーロッパ音楽の中で最も偉大な発明の一つに「計量記譜法(Mensural notation)」が挙げられます。「計量記譜法」のお陰で初めて音程と音の長さをある程度正確に紙面上に表現する事が可能になりました。この音そのもの、それから楽曲についての「アイデア」をあたかも設計図のように紙面上に記録することが可能になったことによって、いわゆる西洋音楽は(主に東洋の)口承文化による音楽とは非常に異なる発展の仕方を見せることになります。ここではこの記譜法についての詳細に触れるつもりはありませんが、現代の記譜法の起源を知る事は興味深いと共にこれから取り扱うテーマについて考える上で非常に参考になります。

15世紀後半に作曲され16世紀前半に複写されたジャック・バルビローによるミサ曲 「Missa virgo parens Christi」の装飾写本(ローマ教皇レオ10世への贈り物の一部として献呈される)

計量記譜法 現代の記譜法

マクシマ

マクシマ

ロンガ

ロンガ

ブレヴィス

ブレヴィス

倍全音符

倍全音符

セミブレヴィス

セミブレヴィス

全音符

全音符

ミニマ

ミニマ

2分音符

2分音符

セミミニマ

セミミニマ

4分音符

4分音符

フッサ

フッサ

8分音符

8分音符

セミフッサ

セミフッサ

16分音符

16分音符

 

 

32分音符

32分音符

比較表のように計量記譜法の「ブレヴィス」が現代の「倍全音符」の祖先であり、同様に「セミブレヴィス」が「全音符」に、「ミニマ」が「2分音符」に、「セミミニマ」が「4分音符」にそれぞれ対応しています。

1300年以前は「マクシマ」、「ロンガ」、「ブレヴィス」、「セミブレヴィス」の4種類の音価のみが使われていました。14世紀から16世紀にかけて、作曲家達は上述したものよりさらに短い音価の音符を次々と多用する様になりました。その結果、古い音符の音価は次第にそれぞれ相対的に長くなっていきました。

タクトゥス

現代の「拍」の祖先は「タクトゥス」と呼ばれていました。15世紀にはこの「タクトゥス」は手を上下する動きによって表現されました。ところが「拍」と言う概念は現代のものとはかなり違っており、どちらかというと現代の「小節」に近いものであった様です。

計量記譜法には現代の楽譜の様な小節線が無かったので、単位となる音価が必要になりました。イタリアのルネサンス期の理論家兼作曲家であるフランキヌス・ガッフリウス(Franchinus Gaffurius)によると、1タクトゥスは全音符1つ分の音価に等しいそうです。そして、それぞれの全音符の長さは人が静かに呼吸している時の脈拍数に等しい、と述べています。恐らくM.M. 全音符=60〜72 位だと思われます。 (Practica musicae, 1496)

このようにして本来は最も短い音価を持ち、現代の「小節」の概念の元になった「セミブレヴィス」は、現在一般的に使われている音符の中で最も音価の長い「全音符」として受け継がれた訳です。

ここで大変興味深いのは、現代の音符の相対的な音価に対して、この当時の音符は多少の誤差はあるにしてもほぼ絶対的な長さを持っていた、と言うことが出来るところです。その結果、楽曲のテンポは楽譜の音符にそのまま表現されているので、速度記号を指定する必要すらなかった訳です。この習慣は一般的には16世紀中続いたようです。

我々の長い音楽史の中で多くの作曲家は常に新しい様式を探し求めてきました。そして何か新しいものが生まれる度に、今までの記譜法や理論、概念等が新しいアイデアを表現するには古すぎて、実際的ではなくなってしまうのです。そして多くの作曲家は既存の記譜法を拡張したり、変更を加えたり、または全く新しいものを編み出したりしました。前の時代から受け継いだ古い理論や解釈、記号などは、一方ではある作曲家達によって新しいものに置き換えられ、他方では伝統としてそのまま引き継がれて行ったのです。