フェデリコ・モレノ・トローバ:スペインの城: トリーハ(哀歌)

トリーハ城

スペインの城

スペインの城はフェデリコ・モレーノ・トローバがスペインのカスティージャ地方にある幾つかの城を題材として作曲した作品集で、このトリーハはその中の1曲です。

 

トリーハ城

スペインの首都マドリッドから北東へ車で約1時間程のグアダラハラ県に位置する要塞「トリーハ城」は14世紀(城壁があまり厚くない事から大砲等が普及する以前に建設されたと考えられている)にアロンソ・フェルナンデス・コロネルによって建設・所有されたと考えられています。その後中世の戦や、19世紀のナポレオンからの独立戦争、20世紀の市民戦争によってかなりの損傷を受けました。特に独立戦争の際にはフランス・ロマン派の詩人・小説家として有名なヴィクトル・ユーゴーの父親であるジョゼフ・レオポール・シジスベール・ユーゴー将軍率いるナポレオン軍がこのトリーハ城を占拠しましたが、その後フアン・マルティン・ディエス “エル・エンペシナード” 率いるスペインのゲリラ軍が奪還します。その後彼らがこの城を去る際、再びナポレオン軍によってこの城が拠点として利用されぬ様、なんと城を破壊して廃墟にしてしまいます。その後複数回による修復を経て現在に至っています。

実際にトリーハ城を訪れてみると雄大で野性的な景色と残された廃墟に果てしない時間の流れを実感すると同時に、ある時点から時間の流れが完全に止まってしまっている様な不思議な感覚を覚えました。フランシスコ・デ・ゴヤの有名な版画集『戦争の惨禍』を思い出しました。町の賑やかさと静寂さ、日差しの強く色鮮やかな日中と漆黒の夜、陽気な一方哀愁を愛するノスタルジックな国民性。スペインは本当にコントラストの強い国で五感が刺激されない瞬間がありません。

 

フェデリコ・モレノ・トローバ

フェデリコ・モレノ・トローバ (1891年3月3日 ー1982年9月12日) は当時スペイン国内で大流行したスペイン流オペレッタである『サルスエラ』で大成功を収めた作曲家として 、又ギターの為に数多くの名曲を残した作曲家として有名です。

 

トローバとサルスエラ

トローバは多作な作曲家として有名ですが、サルスエラの為に約50作品を残しました。オペラ歌手や指揮者として有名なプラシド・ドミンゴ(ホセ・プラシド・ドミンゴ・エンビル)の両親(父:プラシド・ドミンゴ・フェレール、母:ペピータ・エンビル・エチャニス)は共に有名なサルスエラの歌手で、トローバの経営するサルスエラの劇団で活躍していました。スペイン国内の巡業で一通りの成功を収めた後、トローバは自らのサルスエラ劇団を引き連れてプエルト・リコ、キューバ、メキシコ、ベネズエラ、コロンビアを巡る約2年間の南米ツアーを成功させます。特にメキシコで収めた大成功を背景にプラシド・ドミンゴ父とペピータはトローバの劇団がスペインに帰国した後もメキシコに留まり、1949年に自らの劇団『ペピータ・エンビル サルスエラとオペレッタ・カンパニー』を起業します。プラシド・ドミンゴ(息子)は幼少から両親の劇団とサルスエラと共に育ち、8歳のころから両親の劇場に出演していました。

近年ではプラシド・ドミンゴ(息子)がトローバのサルスエラの代表作『ルイサ・フェルナンダ』のバリトン『ドン・ビダル』役をウィーンやミラノ、ワシントン、マドリッド、ロス・アンジェルスで演じ、トローバのサルスエラが世界的な聴衆に紹介されました。

 

トローバの20世紀のギター・レパートリーへの貢献

今日では「作曲家」や「演奏家」という棲み分けが普通に感じられますが、作曲のみを専門とする「作曲家」や他者の作品を演奏することのみを専門とする「演奏家」というような分業が成立したのは19世紀の終わりから20世紀という極最近の事で、それまでの長い間はそれぞれ演奏家が自ら作品を創作して演奏する、いわゆる自作自演という形で発展してきました。ギターの場合も、楽器の特殊性上、またこの楽器への理解の欠如から自ずとギター奏者、特にヴィルトゥオーゾといわれる名手達が自らの為に作曲・演奏することによってレパートリーが発展してきたと言えます。

アンドレス・セゴビアがギターという楽器の地位を向上させる為に多くの貢献をした事は周知の事実ですが、その一つに20世紀の新しいギター・レパートリーへの取り組みがあります。セゴビアは交響曲など規模の大きな作品を書ける能力のある作曲家達にギターの為に作品を提供してもらうことがギターの発展の為に必要不可欠だと考えました。このセゴビアの呼びかけに最初に応じた作曲家がトローバです。トローバの書く数々の簡潔ながらも美しく高品質な作品の数々によってこのトローバとセゴビアのコラボレーションは大成功に終わります。その後、ブームに火が付き、スペイン内外の優秀な職業作曲家達がこぞってセゴビアの為に曲を献呈しました(中には理不尽にもセゴビアに初演してもらえなかった名作品もかなりあったようですが)。こうして20世紀ならではの「作曲家」と「演奏家」の分業によって新しいスタイルの素晴らしいギター作品が数多く生み出され、ギターにはなじみのない世界中の多くの聴衆にギターの魅力を知ってもらえるきっかけを作ったトローバとセゴビアの功績は非常に大きいといえます。

 

98年世代(ヘネラシオン・デル・98)、フェリペ・ペドレル、そしてスペイン国民楽派

当時のスペインは米西戦争に敗戦し、植民地を失っていきました。かつて黄金時代と呼ばれた際の栄光はすっかり影を潜め、政治的・経済的・文化的に衰退する中、当時の作家や詩人達は「スペインとは何か」、「スペイン文化とは何か」を問い、アイデンティティーの危機(実存的危機)に陥っていました。この状態から奪回するために、当時のある知識人達は「スペインを近代化/ヨーロッパ化するべきだ」と説き、また他方では「そもそも近代化・ヨーロッパと言う概念自体が不明瞭なものであり、スペインはスペインであってヨーロッパではない。近代化もヨーロッパ化する必要性も無いどころか、逆に起源に戻るべきだ」と説きました。前者を代表する知識人に「27年世代(ヘネラシオン・デル・27)」と呼ばれる文化運動で重要な役割を果たしたマドリッド出身の哲学者、随筆家のホセ・オルテガ・イ・ガセットが挙げられ、後者を提唱した知識人達はビルバオ出身の作家・哲学者、ミゲル・デ・ウナムーノを筆頭とした「98年世代(ヘネラシオン・デル・98)」と呼ばれます。

「27年世代」に属する詩人ペドロ・サリーナスによる「98年世代」の作家達の特徴分析として興味深いものを幾つかご紹介します。

  • 埃にまみれ廃墟となったカスティージャ地方の村への深い関心と愛情。その光景や伝統、純粋で天真爛漫な言語の再評価。2つの台地を巡り旅行記を書いたり、スペイン神話文学やロマンセ(スペインの詩の一形式)を蘇らせたり学んだりする。
     
  • 新しい形式を生み出すことによる古典文学の模範の破棄と復興。ウナムーノの『ニボラ(現実主義のフィンクション小説と距離を置く為ウナムーノ自らによる造語で自らの反現実主義小説を意味する)』、印象派・叙情派小説のアソリンなどの空間と時間を用いた実験的小説。登場人物を異なる時代に同時に登場させる。
     
  • 現実主義と凝った美辞麗句や無意味で詳細にこだわった長いフレーズを使う様式の否定。口語に近い馴染みやすい言葉や短い文体、印象派的性格を好む。伝統的で農民達の純粋な単語を復興させる。

 


フェリペ・ペドレルはカタルーニャの作曲家・音楽学者でスペインにおける伝統音楽や民族音楽研究の先駆者でした。音楽に於ける『ヘネラシオン・デル・98』を提唱したのがペドレルといえます。ペドレルは既にロシアやボヘミア、スカンジナビアなどで起きていた音楽におけるナショナリズム(民族主義)を背景に、スペインにもそれを導入するべきだと考えました。具体的には外国の音楽様式の猿真似をするのではなくスペインの伝統的な音楽(旋律・リズム・音階)を知的に洗練させることによってヨーロッパの芸術音楽の潮流に乗る、というものです。

アルベニス、グラナドス、ファリャ、トゥリーナ、そしてトローバやロドリーゴなどスペイン国民楽派と呼ばれる作曲家達は皆フェリペ・ペドレルから直接または間接的に強い影響を受け、いわばペドレルの教えを体現した作曲家達であるといえます。アルベニス、グラナドス、ファリャ、トゥリーナはペドレルの直系の弟子でもありました。

このようにかなり保守的な思想を持った師匠の弟子達の中でもアルベニスやファリャ、トゥリーナなどはその当時最も文化的に栄えた都市の一つであるパリで過ごしたこともあり、アンダルシーア地方のフラメンコとフランスで学んだ印象派的手法と組み合わせた、「国際的スペイン音楽」を表現した一方(ファリャにおいてはストラヴィンスキーの音楽様式に傾倒するまでに至った)、若年期にピアノの個人レッスンを受ける為にパリで過ごした2年間を除きほぼ一生をスペインのバルセロナで過ごしたグラナドスは、ゴヤやマドリッドから受けたインスピレーションを、既にスペイン音楽の中にイディオムとして吸収されていたショパンやシューマンなどによるロマン派的な様式と組み合わせることで、「純国内的スペイン音楽」として表現した作曲家であったと言えるかも知れません。

トローバの音楽はスペインの民族的要素(マドリッド風ともいえる歯切れの良い軽快なリズムや、民謡的な叙情的又はメランコリックな旋律など)を平易な音楽語法を使って表現し、しばしば『カスティソ・エスパニョリスモ(純スペイン的)』と形容されます。こうして見るとトローバの音楽様式は、ペドレルからグラナドスへ継承された流れを引き継いだものであると言えるかも知れません。前述したサリーナスによる『ヘネラシオン・デル・98』の特徴分析と照らし合わせるとトローバの音楽がいかにそれに沿ったものである事かに気づかされます。

とはいうものの、トローバの初期の作品の中には明らかにラヴェルやドビュッシー、サティなどフランス印象派的な斬新な音(全音音階や五音音階、教会旋法やそれから派生する旋法的和声法と機能和声法の融合など)を聞き取る事が出来るので、もしかすると実験的な意味合いがあったのかも知れません。トローバはホアキン・トゥリーナとも交流があったようで、初期の作品である『夜想曲(Nocturno)』の中でフラメンコ風(トゥリーナ風)な要素とフランス印象派の要素が融合された作風を聴く事が出来ます。このフラメンコにスペインのアイデンティティーを求める事はペドレルが提唱した事でもあります。

 

このように98年世代の美的感覚を踏まえて見てみると、「かつて」栄えたスペインの象徴として、また朽ち果てて見る影も無い状態になってしまった「今」の象徴としてスペインの「城」ほど相応しい題材はないように思えます。このトリーハに限らず「スペインの城」の他の作品も「かつて」と「現在」の景色が同時に目の前に広がる様な不思議な感覚を受け、特別な感慨があります。

 

余談

トリーハ城を訪れた後に周辺を観光しようと当てもなく車を走らせ、しばらくして着いた先は「セプルベダ」という小さな村、そしてその近くにある『オセス・デル・リオ・ドゥラトン自然公園』という場所でした。帰宅してから地図を見てみるとなんとトリーハ城から直線距離で約89kmも北西の『セゴビア』という町まで来てしまったようです。本題のトリーハとは直接関係ないのですがあまりの雄大な風景に感銘を受けたのでその写真も下に加えました。スペインの音楽がいかに大地に根ざしていているかを痛感しました。