
サラマンカ
サラマンカはマドリッドから北西へ213km行ったところに位置するとても美しい町で、スペインのカスティージャ・イ・レオン州の一都市です。由緒あるサラマンカ大学や12世紀ロマネスク様式の旧大聖堂をはじめ16世紀〜18世紀に建設されたゴシック様式の新大聖堂、18世紀バロック様式のプラサ・マジョール(大広場)等、ロマネスク様式・イスラム様式・ゴシック様式・ルネサンス様式・バロック様式と多くの歴史的建造物が並ぶ美しいサラマンカの旧市街は1988年にユネスコの世界遺産に登録されました。
私はこのサラマンカという街で数年間、まさに夢のような時を過ごすことができました。サラマンカの街並みやそこで出会った素晴らしい友人たちには多大な影響を受けました。サラマンカでの生活はその深い歴史を実際に体験、吸収する機会を与えてくれました。サラマンカで経験したことで特に印象に残っているものに、季節ごとの「静寂の音」が挙げられます。特に旧市街の平日の夜の「静寂の音」には特別な魅力を感じました。音楽でも休符は音符と同様に重要ですが、サラマンカは「静寂」の存在をある意味音の一種として実感しました。
サラマンカ大学とアルフォンソ10世
サラマンカ大学はスペインで最も古く、ヨーロッパの現存する大学としてはイタリアのボローニャ大学、イギリスのオックスフォード大学に継いで3番目に古い歴史のある大学です。
サラマンカ大学の起源は大変古く、少なくとも1130年頃から既に教育機関として機能していたと考えられています。1218年にアルフォンソ9世 (レオン王)によって「ストゥディウム・ゲネラーレ(神聖ローマ帝国による各国の優秀な学者を集めた学究組織)」として認定され、1252年にアルフォンソ10世 (カスティージャ・レオン王)によって「大学」としての称号を与えられました。
ところで、このアルフォンソ10世は英知が自らの国の統治や繁栄の基盤であると考え、文学から科学・歴史・法律・音楽・造形美術に至るまで膨大な知識を収集することに注力しました。西洋のみならず東洋の知識の収集に尽力し、ラテン・ヘブライ・イスラムの知識人達を集めて異なる文化が交流出来る場所「トレドの翻訳学校」が設置され、ここで多くのアラビア語文献がラテン語に翻訳されヨーロッパに伝わることになりました。
アルフォンソ10世はこうして収集した知識を当時のエリート層の言語であったラテン語ではなく一般大衆の言語である「カステジャーノ(現在のスペイン語)」で書き記した大規模な文学作品群、通称「アルフォンソ10世文学(Literatura de Alfonso X el Sabio)」を生み出し、一般大衆が知的な文学作品にアクセス出来るようにすることで国全体の文化的発展に多大なる貢献をしたことから「エル・サビオ(賢王)」と呼ばれます。
この文学作品集の中の「詩的作品(Obra lírica)」としてアルフォンソ10世自ら筆をとって編纂・監修したといわれる420点以上のモノフォニーで書かれた楽譜を伴った詩集「聖母マリア頌歌集」があります。

アルフォンソ10世は天文学にも造詣があったことから、月のクレーターの名前にもなっています。月面図を作成する際、クレーターに科学者の名をつける命名法を始めた17世紀イタリアの天文学者 ジョヴァンニ・バッティスタ・リッチョーリによって「アルフォンサス(Alphonsus)」と命名されました。

トローバのエッセイで言及した「98年世代」を代表する知識人ミゲル・デ・ウナムーノはこのサラマンカ大学の学長を3回務めました。作家として大変影響力のあったウナムーノは1930年代に自らの文学作品の中で日本の折り紙を紹介する等、スペイン、ひいては南米にまで折り紙を知らしめた第一人者として知られています。