フラメンコ文化を起源とする「ドゥエンデ」はギターを含めスペイン芸術を理解する上でとても重要な概念です。このエッセイではフェデリコ・ガルシーア・ロルカ自らの言葉にこのドゥエンデの意味を探ります。
フェデリコ・ガルシーア・ロルカは1933年にアルゼンチンのブエノス・アイレスで「ドゥエンデの理論と役割(Teoría y juego del duende)」という講演を行いました。一般にフラメンコ文化と結びつきの深いこの「ドゥエンデ」をロルカは普遍的な芸術概念として定義しているのが興味深いです。
ドゥエンデの理論と役割
講演の中から直観的でとても分かりやすいと思った一部分を下に紹介したいと思います。
マヌエル・トレ(Manuel Torre)、本名マヌエル・ソト・ロレト(Manuel Soto Loreto)は伝説のヒターノ(ジプシー)のカンタオール(フラメンコの歌手)として知られ、文盲であるにもかかわらず、自らの芸術に関する全ての事柄に造詣が深く、ロルカをして上記の様に言わしめました。そして以下にゲーテの言葉を引用し、ドゥエンデ、黒い音、そしてパガニーニの音楽の持つ力についての同一性を語っています。
ゲーテはニコロ・パガニーニの ヴァイオリン演奏を実際に聞いた際、ヴァイオリンの伝統的な調べに平行して、悪魔的な火花が散るのを感じたと言います。パガニーニは初めて音楽の持つ悪魔的側面をもたらしたのです。
ロルカが上記で頻繁に使う「黒」はロルカのお気に入りの比喩の一つで「ドゥエンデ」を意味します。詩作品「6つの弦」ではギターのボディーを「黒い木製のアルヒベ(貯水槽)」と表現しました(フェデリコ・ガルシーア・ロルカとギター 27年世代 その3を読む)。
他の多くの芸術家と同様にロルカもまたギリシャ文化に強い影響を受けています(詩人は月桂樹の森から規則を学ぶ)。興味深いことにロルカは一般的に天使とミューズが象徴する概念を独自に解釈、定義し直して、それぞれに新たな役割を与えています。ロルカによると、天使は優美さとひらめきを(ガルシラソの詩)、ミューズは英知(ゴンゴラの詩)を象徴し、ドゥエンデは内面から発生するものだそうです。ロルカについての専門家であるマリー・ラフランキ(Marie Laffranque)によると、ドゥエンデとは痛みそのもの、痛み, 悪、不幸に対してあきらめる事の無い良心のことだそうです。 「血」はロルカがよく使う表現で、人生を意味します。
ロルカは「解釈」という行程を阻害するあらゆる種類の写実主義的美学を拒絶しました。詩にとって現実を参照するだけでは明らかに不足があり、それを象徴し解釈し直すことが必要だと考えたからです。そしてこの死すべき性格をも持つドゥエンデによって芸術が一体化する事によって意思の疎通が容易になり、芸術を超越的なものに昇華させることができると考えたのです。
上記の引用のそれぞれが端的に示している様に、ドゥエンデは社会的地位とも教育水準とも国籍とも関連が無く、勉強や修行で習得出来るものでもない、人間の血の中にある特殊なもの、しかもなかなか顔を出さない厄介なものなのです。そしてロルカは知性、ひらめき、そしてこのドゥエンデが一体化してはじめて真の芸術が生まれる、と考えたのです。
最後に彼の詩に対する考えが非常に明瞭に示された部分を、詩集「印象と風景」(1918)の前書きから引用したいと思います。ロルカは音楽家になる夢を諦めた直後にこの作品を執筆し、彼の音楽の先生、アントニオ・セグーラ・メサに献呈しました。(前回のエッセイを読む)。